社会保障費

NTT株を放出

つまり完全に民営化する方向だ

そうです。

介護も大いに関係しています。

母は6年前にも要介護2に

妹Tがしました。

他の市からわざわざ

我が家にやってきて

皆無と言っていいほど

我が家に来なかったし

母との接触もない人が

認定員と会い

要介護2にしたのです。

その頃は母と同居して20年程でしたが

トイレ介助もお風呂の介助ももちろんしていません。

当時、母はミシンも得意で服こそ

縫わなくなっていましたが

小物はミシンで縫っていました。

ズボンのウエスト補正などは

得意で近所の方の補正を

受けていました。

買い物も近くのスーパーに毎日のように行き

自分の好きな煮しめなど作っていたのです。

郵便局へ行っては

年金を下ろして

よくハガキも買っていました。

年賀状や暑中見舞いを達筆なので

なんなく書いては出していました。

それでも要介護2

妹Tが嘘ついたのでしょう。

母は耳が遠く

内容は分からなかったと思います。

嫌がるディに行かせて、ケアマネは付くし

これも税金の無駄です。

社会保障の闇

介護と言う名の闇ですね。

介護の無駄遣いはやめましょう。

ちなみに妹Tは介護士にこの後なりました。

介護士になると

更にパワーアップして

介護保険を使うことが使命とばかり

使わなきゃ損らしいです。

元気な母が要介護1になると

信じられない。

介護度を低くくするなんて

プロはしない

と責められました。

介護を見直しませんか?

ビ⭕️モーターと同じく

嘘が蔓延しています。

介護施設

皆さまはどうなんでしょう?

なにかの記事で

昔々

香港からやってきて活躍していたある歌手の方は

月額300万円ほどの介護施設に入られる予定だそうだ

入所時は数千万?

どう考えても

それは施設ではない

高齢者が優雅に暮らせる高級ホテルではないでしょうか?

我が家の場合

母が妹から

説明も受けず入れられていた施設は

月額11万円でした

妹に引き取られてからは

良かったのは最初の1か月ほどで

母はショートステイとディサービスに通わされてばかりでしたので

今回も場所が変わっただけでまさか入所させられているとは

考えていなかったようです

耳が遠いだけですから説明してくれたら

施設は嫌っていたのできっと断ったでしょう

だから母を重度の認知症にする必要があったし

この認知症を利用し施設からも説明受けず無理やり

入所させられていました

〇岡市で一番安価な料金のグループホームです

施設はやはり料金なりでした

こんなところで母が哀れだと思う程の施設でした

もともと妹の言動は

首をかしげることばかりでしたので

ほとんど接触はしませんでしたが

母は

私が家に居ない時など

時々電話をしては冷たくあしらわれていたようです

妹は介護士の免許を取るために

3年間の目的で

どうやら小さい施設に勤めていたようで

高齢者は皆家に帰りたがる

施設は嫌だけど若い人に迷惑をかけてはいけないから

我慢して施設に入っていると話し

母ももう姉宅で見る限度は超えているから

早く施設に入れるようにと脅しのようなメールが

度々届いていました

月額300万円とはいかなくても

もう少し母の意思を尊重して

ふるさとの施設なり意思疎通ができない方ばかりの施設ではなく

会話ができる方が入所されている施設にして欲しかったと思うのです

母は入所していた約1年間

誰とも話さなかったそうです

ひどい施設に入れたものです

 

 

 

 

 

令和3年9月23日と24日の介護記録から

Tは、母を引き取ってしばらくは好かれるように最大限の知恵で

これまでの我が家での不満や

部屋の移動で

少し前に陥っていた物盗られ妄想などを饒舌に話す母の姿を

録画していたようです。

そうするうちにT宅がある〇岡市の介護保険証が届くと

いよいよ母を特老へ入れる準備開始

まず私たち親しい身内と話ができないように引き離し

電話をかけられないように電話機を隠し

2021年9月11日には

ディやショートスティさせるための

じょうなんの〇〇への契約を済ませています。

もちろん全てTの筆跡です。

我が家での23年5カ月の生活からT宅へ移動した8月25日後、介護記録は9月23日から始まっています。最初なので1泊です。

9月23日…「ここに来るときは何も言わず車に乗せられて」と不満気に話される。

問題集を好まれるということなので準備し、渡すと取り組まれる。独歩。{入浴}ふらつきなし歩かれる。更衣着脱衣は自身で行われる。手摺を利用し、浴槽を跨ぎしっかりと行われる。眠前薬服薬後、就寝される。

9月24日…独歩で歩行そわそわ落ち着きない。しばらく本人と話すと落ち着かれる。音楽に合わせ身体を動かされる。17時退所

などと介護記録に記載されています。

我が家では歩行やトイレ、入浴はほぼ自立し、キッチンに立ち調理したり、庭で草取りすることが日課だったので、元来、自由にできない施設は大嫌いなのです。きっと泊まるのは嫌だったでしょう。そわそわはそのためです。

 

 

 

普通に暮らす

成年被後見人になってしまうと

年金も預金も、もしあれば不動産もすべて成年後見人が管理します。

一番注意しなければいけないことはこの後見人は

死ぬまでつきます。

死んで初めて成年後見が終わるのです。

なんなのでしょう?

それが分かっていて付けたのは悪意からでしょうね。

Tは母が嫌いだった。それしかないでしょう。

Tさん、あなたは、もう15年前から施設へ入るように言ってたよね。

今のように認知症でもない当時の母が施設に入れば

いったいいくらお金がかかるのでしょうか?

お金は出したくないくせにあまりにも無責任です。

2021年8月25日に住所変更をすると

2021年12月、母はあなたから訳も分からずグループホームに入れられても

いつか迎えに来ると思っていたようです。

4月19日には家裁から成年後見が開始した旨の知らせが届きました。

4月27日初めて会えましたが意思疎通ができない人の中で

意識が低下しているのが長年同居していた私には手に取るように分かりました。

母は面会の度に「帰ろう、こがんとこおりたくなか」と訴えていましたが

時間になると、毎回、職員さんに手を引かれ刑務所のようだという部屋に

消えてゆきました。

8月にはコロナにも罹り一層意識低下している感がありました。

元気出さなきゃそこで死ぬよと電話で言う私に

こがんところで死んでたまるか

と己を奮い立たせていましたね。

成年後見人の弁護士から2泊3日の外泊許可が下りたのは

2022年11月

入所して丸11カ月過ぎていました。 

T宅に居る間は同じ区の

じょうなんの〇〇へかなりの頻度でショートスティしながら

T宅に居れたのはおそらく1か月もなかったと思いますが

住み慣れた家を離れて1年と3カ月余り

住み慣れた家に着くと夢見心地でぼーっとしていた母でしたが

近所の顔なじみの高齢者と会うと

挨拶し談笑していました。

よかったね。ようやく老人会の仲間で

意思疎通ができる人とお話しできて。

さてグループホームに帰る日

帰りたくない、死んでも嫌だ。

母の言葉で言うと

なんであがんとこに。帰らん。あがんとこに戻るなら

死んだほうがまし。

それを伝えると

後見人の弁護士は烈火の如く怒り

「すぐ戻しなさい!」

死にたいというのですよと答えると

「それでも約束は約束返しなさい!」

もちろん母の意思を尊重しました。

90歳なのです。どんな罰でも受ける覚悟でした。

先は短く成年後見人は、Tが母の意思を無視して事実を捻じ曲げて申し立てたのです。

こんな成年後見人制度なんて母が知るわけがありません。

人権もなにもかもなくなる成年被後見人

考えた人は高齢者を守るために作ったのでしょうが

悪用されやすく

母のように子におかしな人がいると

高齢者は不幸になります。

法はなんのためにあるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

成年後見人制度

この制度まったくおかしいと思います。

一度申し立てられると死ぬまで。

母に財産は全くありませんよ。

夫の遺産は放棄しています。

年金は年間90万程度。

墓を新しくするため貯めていた預金は

長年我が家に居たため貯蓄できましたが僅かです。

私が働いた期間は、母の生活費はもらっていませんでした。

その貯蓄から、Tには生前贈与として合計150万円を数年前に渡しています。

母が66歳から23年間、義理の息子

つまり私の夫が同居し扶養していました。

秘密のうちに入所させていたグループホームの他の入所者8名は

意志疎通のできない人ばかりで誰とも話したことがない悲惨な状況だったと

聞いています。

それゆえ以前のように自立していた頃には戻れなくても

もちろん歩けます。食べれます。草取りします。調理します。

親しい人と会って話もします。

入浴やトイレもほぼ手助け程度です。

こんな母ですが成年後見人は弁護士です。

Tは、一体どれほどの嘘を申し立てに書いたのでしょうか?

母は言います。

誰がこがん制度を作ったと?(方言)

国よ

応えると

ばかんごた(方言)

やめてほしか(方言)

本当、なんとかなりませんか

年金通帳を見せてあげたいです。

大切な母の兄が戦死して残した弔慰金年間5万円は

空の上から

いや海で眠る伯父が残したものです。

ばんざいの声の中で出征してと今も当時のことを

よく話してくれます。

76年間鹿児島の湾で眠る21歳の伯父さん

母に弔慰金が戻るように祈ってくださいね。

90歳でそんなに先もない老人を

こんなに困らせる成年後見って法律は

いったい誰のためですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

罰を受けて欲しい

自分をこんな目に遭わせた罰を受けなければいけない。

母は、Tに対して毎回そう言います。

成年後見人を付けるためには医師の診断書が必要らしいです。

T宅へ住所変更して僅か3ヶ月

母は様々な薬を投薬されヘロヘロ状態

カルテ開示で分かったのですが服用していた薬は何種類もあります。

これまで23年間の我が家での生活では全く服用していない薬です。

記憶しているだけでクエチアピン、ルネスタ、メマンチン、レンドルミン

ベシケア、メマリー様々な薬の服用のためか腎臓機能悪化で

医師の判断で11月27日ついに休薬と記してありました。

しかしその一番ひどい状態の時

診断書作成を紹介され検査した大学病院に

依頼していることが分かっています。

1か月前まで

歩いていたのに歩けなくなり

おしゃべりなのに言葉がでなくなってしまっていました。

耳が遠いため認定員や医師へ、Tが何を話しているのか

分からずまさか自分の娘か親に成年後見人を付けるため

画策しているとは想像もしていなかったのです。

歩けない話せないではそりゃ要介護3になるでしょう。

事実、大学病院の医師も要介護3・4相当と記載がありました。

我が家に居た3月は要介護1、Tが介護度を変更したいと言い出し、T一人で我が家に出張して認定員と対応した7月はなんと要介護2。

この時本当は要介護3にしたいがため、同居もしていないのに嘘をTがついていたと想像できます。

なぜなら、ほとんど母と接触していません。

嘘しか話せないと思います。

分かっているので同席しませんでしたが

これが判断ミスでした。もっと強く彼女を断り

同居している私が認定員と会うべきでした。

この人介護士なんですけど。とにかく誇張が好き。大袈裟です。

約半年で要介護1から要介護3。

Tの配偶者は法に携わる仕事。

成年後見人申し立てはお手の物だったでしょう。

母は介護施設は絶対に行きたくないと言い張るけど

認知症に決定権はありませんと

毎回けんもほろろに言い放っていたので注意すべきでした。

喜んでTに、ついて行った母があまりにも哀れで可哀想です。